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小野川温泉物語小野川温泉の歴史絵本

小野小町の巻
平安の昔のこと、六歌仙で絶世の美女と言われた小野小町は・・・ 出羽の郡司の父、小野良実を訪ねるため都をあとにしました。 承和元年(834年)桧原の難所を越え米沢の郷に入ったとき 疲れから病になった小町は、夢枕に峰の薬師からお告げを聞きました
吾妻川を下っていくとき、小町の香る袖に触れると片方の葉が落ち 小町の行き先を示したのです。この葦は「片葉の葦」と名づけられました。 「吾妻川 岸の流れに立ち寄れば いつしか映る鬼の面影」 その時から、吾妻川は鬼面川と呼ばれるようになりました。 あら不思議、いで湯が湧きでします。 小町はいで湯に37日入り、病を治し再び、絶世の美女に生まれ変わったと言われる
尼湯の巻
時代は変わって戦国時代米沢が伊達時代の大永2年(1522年
小野川の西の高台にある塔之原の佐次兵衛の先祖肝煎清佐衛の下女尼代は・・・
鬼面川の洪水のあと、
川原の石の間からお湯が湧き出しているのを発見
この湯は発見者尼代にちなみ、「尼湯」と名づけられました。
いまの共同浴場尼湯の始まりです
伊達政宗の巻
戦国の時代、米沢を支配していた伊達家に男の子が生まれました。
幼名は梵天丸、のちの伊達政宗です
政宗は領地拡大を狙い、たびたび会津の芦名をうとうとしていました。
天正15年会津討伐のため、小野川の北の館山に築城しています
天正元年、23歳の政宗は落馬し、足を骨折
政宗は小野川で湯治し、骨折を治しました 完治した政宗は会津の芦名を滅ぼし、東北最大の勢力に
しかし、天下は豊臣秀吉が支配、政宗は米沢から宮城県岩出山へ移封され、のちに仙台に居城を構える事になりました
上杉の巻
川中島の戦いで有名な上杉謙信の次の上杉家当主景勝は徳川家康の命で会津120万石から米沢30万石に移封され、世ね座うぁ上杉家が支配しました 上杉家の養子になった上杉治憲は明和4年9代目米沢藩主となりました。
隠居名は鷹山、米沢藩財政立て直しのため、質素倹約や殖産進行を行い、名君とうたわれています。
安永元年、上杉治憲は家臣の五十騎組に命じ、小野川の荒地の新田開墾を行ないます
治憲公は小野川を視察し、五十騎組を慰労し、一人一人に樽から酒を酌み振る舞い、感謝の言葉をかけました 治憲は国家老竹俣当綱に命じ、小野川で温泉から塩を取る製塩を試みるなど殖産振興を行ないました 上杉鷹山はじめ、上杉治広、斉定など多くの殿様がやってきています。
殿様の湯は藤屋弥兵衛(現在のみかどや付近)といわれています
このようにして、小野川温泉は人々に愛され、いやしと憩いの美人の湯としてつづいています